平坂散歩

リウマチという病気を患者の立場から語るブログ

岡江久美子さん死去に思う、大切な人を亡くすという事

4月23日、女優の岡江久美子さんがお亡くなりになりました。

私の中の岡江さんは元気ハツラツとしたイメージでしたので、突然の訃報にとてもショックを受けました。

そしてご遺族の気持ちを考えると、何とも言えない悲しい気持ちにもなりました。

自分の両親が亡くなった時の事を思い出したからです。

 

私の親は両方ともガンで亡くなりました。

二人ともガンである事がわかった時には末期で余命宣告をされる状態でしたので、亡くなる時にはそれなりの心の準備も出来ていたかもしれません。

それでも死を受け入れるにはかなりの苦しみや悲しみ、時間が必要でした。

もしかしたら、まだちゃんと受け入れられていないかも知れません。

 

大切な人を亡くすという事。

そして、それを理解する、納得するには、段階があると思います。

あくまで私個人の体験から感じた事ではありますが。

 

まず、看取る。死の瞬間に立ち会う。

 

次に、遺体に触れる。

 

そして、火葬される。

 

私の中では、この三つの段階を踏む事がとても大きかったです。

 

息を引き取るその瞬間、私はそのすぐ傍にいました。父の時も母の時も。

今まで息をし、動いていた人がその瞬間から動きを止め、呼吸する音も聞こえなくなる。

 

そしてその体に触れたとき、何の力も入っていない、意思を感じない、ただの容れ物に触れているような感覚。

『ここに父は(母は)入っていない』

と、気づかされる。

まだ暖かいけど、姿もそのままだけど、父は(母は)ここに居ない。

そう感じるんです。

 

そして火葬されるその直前、その亡骸を見て、

『この姿を見られるのは、これが最後』

と、自分に納得させる。記憶に留めて置くための、最後のお別れです。

これ以降はもう、写真の中でしか会えなくなるんです。

そしてお骨になった姿を見て、もう人ではなくなったのだと。

仏様になったのだと。

そう、自分にまた納得させていくんです。

 

その一つ一つの段階を踏むたびに、とてつもない程の涙が出ました。

自分でも驚くほど泣きました。

泣きたくはないのに、勝手に涙が溢れ、嗚咽のような泣き声が出るんです。

 

これは初めての感覚でした。

身内を亡くすという事は、心の奥底から震えるような悲しみや喪失感が襲うのだと、それだけ大切な存在だったのだと気づかされました。

 

そして葬儀や火葬なども、遺された遺族が故人の死を受け入れる為の儀式のような気さえしました。

 

もちろん、故人への弔いの気持ちも大きいですが。

 

でも、この新型コロナで亡くなった方は、家族に看取られる事もなく、触れてもらう事もできず、ご遺骨になってやっと家族の元に帰れます。

 

ご遺族も亡くなった家族に会えぬまま、いつの間にか火葬され、小さくなって骨つぼに納められたそのご遺骨を手渡されても、納得しようにも出来ないのではないでしょうか。

きっと、まだ在りし日の活き活きとした姿しか記憶にないのでは。

 

なぜなら、普通の亡くなり方なら踏める段階を経ていないのですから。

私なら、なかなか気持ちの整理が着かないだろうと思います。

それを思うと、とても心が痛みます。

 

まだ若い世代の方は、そのような経験はまだしていないかもしれません。

それはとても幸せな事だと思います。

ですが、いずれは経験する事であるとも思います。

だから尚更、コロナのためにそんな経験や辛い思いをして欲しくありません。

 

だって、みんなの努力で防ぐ事も出来るはずだからです。

 

ですから、今出来る事をみんなでしましょう。

とにかく、今は『家に居る』。

それだけで、悲しい思いをする人が減ります。

みんなで頑張りましょう。

 

愉快では無い重い話を、最後まで読んでいただきありがとう御座います。

 

そして岡江久美子さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 

 

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